2019年6月15日土曜日

第46回医療研究全国集会in三重②

2日目は<動く分科会>「ほんとうの青空を」~四日市公害反対運動に学ぶ~に参加しました。埼玉の参加者はこの分科会への参加が多く、全体36人のうち1/3が埼玉のメンバーでした。
ガイドは「磯津環境学校」を運営する元小学校教員の萩森繁樹さんと、元県会議員で四日市にお住いの萩原量吉さんのお二人でした。萩森さんは鈴鹿市のご出身ですが、小学校の教員を10年ほど前に定年退職され、「磯津通信」という月刊誌を発行されています。磯津通信は「公害患者や遺族からの聞き取り、公害患者を診る医師などの「人」の紹介や、近くに建設される下水処理場詳細など『地域情報室』のコーナー(中日新聞)」などで構成されていて、2010年4月の創刊から、これまで90号を数えます。下の写真は四日市市の塩浜地域にある入江付近で2枚目の写真のように対岸に第1コンビナートがそびえていました。写真には写っていませんが、この写真の背中の方角には民家が広がっていて、現在進行形ですが一番被害がひどかった地域とのことでした。

元県会議員の萩原さんからは、公害に関する住民運動や、被告となった第1 コンビナートの6社(中部電力三重火力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成、三菱モンサント化成、石原産業)の様子などをお聞きしました。中には戦前からの大企業もあり、「徴用工」によって莫大な財を築いた企業もあるようでした。
上の写真は第3コンビナートにある四日市ポートビルからの景色です。四日市市は石油や石炭そして車などの貿易が盛んで「眠らない町」の印象を強く受けました。最近では「夜景」を売りにしているようです。
現在では大気中の有害物質の濃度は基準以下に抑えられていますが、その基準までは大丈夫という企業側の姿勢は変わらないようです。
この後に、昼食会場で「患者家族の会」の塚田さんからお話をお聞きしました。話が聞き取りづらかったのが残念でしたが、ご本人やお子さんも喘息の被害にあわれているということで、そのやるせなさが伝わってきましたが、生き生きと活動的な姿も素敵だなと感じました。
 行程の最後に四日市市立公害と環境未来館で見学をしました。資料館としては充実している感じを受けましたが、住民運動がなければ企業の改善はなかったという視点はなく、企業も努力しているというアピールに使われているという印象を受け違和感を覚えました。
四日市公害(四日市ぜんそく)については
ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%8F
などをご覧ください。

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